知的障がい者の暮らしを 「入所施設から地域生活に移行する」ことが必要です!
1. はじめに
相模原殺傷事件は、当事者の声を訊くこともなく津久井やまゆり園の建替え計画を早々と発表され、一部には拙速すぎるのではとの声も聞かれます。どんなに障がいが重くとも住み慣れた地域で当たり前の暮らしが保障されるべきでしょう。ノーマライゼーション思想や障害者権利条約に照らし合わせ吟味された計画なのでしょうか。入所施設が過去の負の遺産的存在かもしれないと言われる昨今、大規模入所施設整備計画には大きな歪みを感じます。我が国の福祉制度及び支援力は、障がいのある人たちも住み慣れた地域で暮らすことが可能になっています。今こそグループホーム(共同生活援助事業)の整備を議論し地域で暮らす制度の充実を図るべきであると思います。
2. 長野県立西駒郷での障がい者の地域生活移行
長野県駒ヶ根市に、「長野県立西駒郷」という定員466名の大規模な知的障がい者の入所施設が あります。施設の老朽化に伴い、平成15年に「建て替え」か、それとも「閉鎖」か、との議論が起きました。検討した結果、建替えに莫大な建設費用がかかることと、当時すでに、知的に障がいのある人たちの地域生活移行が叫ばれていたことから、グループホームの整備に踏み切りました。当時、長野県はグループホームの整備に1ホーム当たり整備費として2,700万円の補助をしたようです。その結果、5年後には、西駒郷の466名の入所施設生活者が227名に半減し、245名の方々がグループホームを中心とした地域生活に移行して行きました。
3. なぜ、入所施設から地域生活へ移行したのか(ノーマライゼーション運動が起きました)
それは、デンマークの1950年法の制定から始まりました。デンマークは当時、スカジナビア諸の中で、福祉サービスが最も進んだ国の一つでした。しかし、施設の多くは閉鎖的運営方式(closed system)で、規模は巨大化してゆき、1施設1,000名収容が当たり前だったようです。そのような中、アメリカでは、知的障がい者入所施設の実態を暴く写真集『煉獄のクリスマス』が、バートン・ブッラトとフレンド・カプランにより出版されると、大きな反響を呼びました。この本は、アメリカ東部4州にあった5つの州立施設内の入所者に対する非人間的対応の実情を、隠しカメラで撮影したものでした。当時の施設は、職員の非人道的な支援は勿論のこと、建物や部屋も劣悪極まりないものであったといいます。デンマークもこれと同じような環境であり、入所施設の処遇改善運動を親の会が始めました。そして教師、心理学者、ソーシャルワーカー等も厳しい批判の声を上がるようになり、1951年から1952年にかけて全国親の会が結成され、1953年12月、同会は社会福祉大臣に対して福祉問題検討会の設置を要請し、委員会が設立されました。この時の担当行政官バンク・ミケルセンは、障がい者が住みなれた地域社会で当たり前の暮らしが保障されるべきというノーマライゼーション理念を提唱しました。そして、福祉問題委員会が指摘した入所施設の改善勧告が基となり、1959年に「デンマーク1959年法」が制定されました。この法律の「知的障がいのために、可能な限り、正常な生活条件に基づいた生活を創造する」という理念に基づき、広くノーマライゼーション運動が展開するようになりました。この流れに合わせるかのように、世界の多くの先進国も、ノーマライゼーションの理念に基づく「誰もが住なれた地域で普通に暮らせる社会」と「障がいがあっても障がいのない人たちと一緒に暮らせる地域社会」作りを目指すようになりました。
4. 日本のグループホームの始まりは神奈川県や埼玉県の「生活ホーム」からです
現在のグループホームの原型を作ったのは、昭和62年に神奈川県の勇断でした。国は、就労する能力はあるものの、日常動作(ADL)能力が未習熟なため、継続的に就労することが困難な人たちを、「精神薄弱者福祉法(現、知的障害者福祉法)」に基づく「通勤寮」の整備を推進しました。定員が20名以上なのに職員の配置数は少なく運営費も低額でした。このため県内の施設整備は進みませんでした。そこで、昭和52年に、神奈川県は5~6名程度の小規模の通勤寮を創設し、これを「通勤ホーム」と称しました。
その後、昭和62年に、地域生活を促進するため、就労をしていなくても通所授産施設(現在の就労継続B型)や通所更生施設(生活介護等)を利用している人も、入居できるようにしました。これを「生活ホーム」といい、当初は、障がい程度の軽い人たちを対象に始まりました。この「生活ホーム」が、日本での「グループホーム」の始まりです。
5. 国の動向
わが国では、1989(平成元年)年に「知的障害者地域生活援助事業(グループホーム)」として制度化されました。今から28年前のことです。当時、厚生省障害福祉課長であった浅野史郎氏(神奈川大学)は、グループホームについて、地域を「海」、施設を「海の家」、グループホームを「浮き輪」にたとえ、以下のように語っていました。『地域福祉の進展は、障がいをもった人にも、荒れることもある「海(地域)」で安全で楽しく暮らせる環境を作っていくことであり、地域という「海」に障がいをもった方々でも泳げるような、いろんな手だてをしていくのが地域福祉を進めていことの意味だ』と述べています。
また、『我々(健常者)は容易に右か左か選択できるが、右しか選べないという選択の幅が狭いということが、障がいを持ったことに伴う最も大きな不幸です。「浮き輪(グループホーム)」というものを、一つの小さな出発点としてやっていきたい』と述べています。
現在、国はグループホームの推進を図るべく、人員体制加算や夜間支援加算、医療連携加算等の給付費の整備の充実を図っています。
6. 施設から地域へ
社会学者の上野千鶴子氏は、『現代思想』10号(2016年10月)は、相模原障害者殺傷事件特集の「障害と高齢の狭間から」の中で、次のようなことを述べています。―上野の『ケアのカリスマたち』[2015]に登場する小山剛さんは特養施設の施設長でした(2015年に急逝)が、施設解体に踏み切った。なぜ小山さんに施設解体ができて他の人たちにはできないのか?その問いをぶつけて、わたしは小山さんが障害者福祉畑の出身であったことを知った。障害者自立生活運動は過去40年をかけて「施設から地域へ」をかけ声に、脱施設化を唱えてきた。たとえ要介助であっても施設処遇を受ける理由はない。だとすれば、高齢者が要介護になったからといって、施設で集団処遇を受ける理由もない。「待機高齢者52万人」の声をもとに、「もっと施設を」という政策は、「施設から地域へ」という障害者運動の過去40年の成果を無視し、脱施設化という世界の潮流に逆行するものだ。
また、相模原の事件は集団生活を強いる施設の中で起こった。介助の効率化のために導入された集団処遇は、言うもおぞましいが殺傷の効率化のためにも有効だった。もし障害者が施設に所していなかったら......殺傷の規模はもっと小さかっただろう。障害者介助を業とする渡邉琢さんが『シノドス』[2016]に書いていました。
7.相模原殺傷事件をきっかけとして
この事件は、全国だけでなく全世界にも衝撃を与えるものであり、障がい者、また、それを取り巻く環境、私たちの意識にも、さまざまな問題提起がなされる機会となりました。この事件の後、津久井やまゆり園の入所中のご家族が、当法人のグループホームを見学し、お子さんの施設入所生活について「20年前、当時のグループホームの環境は、施設入所しか選択肢がないと思ってのことでした」と。しかし、新しいグループホームの見学後「これなら、私の子どももグループホームに入居させたい」とも述べ言いました。現在のグループホームは『建物も支援力も「入所施設を上回る環境にある」ことを知り、考え方が変わった』とも述べています。
不幸な事件ではありましたが、障がい者への理解と地域社会での共生を進めていく機会でもあると思います。障がいのある人々が、大きな入所施設に留め置かれるのではなく、これを機会に、地域にグループホームを整備し「障がいのある人が、地域で当たり前に暮らせる」環境づくりを進めていくべきでしょう。
2006年12月13日に第61回国連総会で全会一致で制定された「障害者権利条約」の第19条の中に、「選択の機会」、「支援」、「インクルージョン」を図るために、その例として、「障がいのある人が、他の人との平等を基礎として、居住地及びどこで誰と生活するかを選択する機会を有すること、並びに、特定の生活様式で生活するよう義務づけられないこと」 。そして、「自分で選択する権利と、地域社会において、他の人々の選択肢と同じ選択肢があり、利用できる」「自立した生活及び地域社会に受け入れられること」「自分が望むように生活できるようになるために、自分自身で選び、食べたい時に夕食を取り、いつでも好きな時に出かけたり帰ったりできるようになる」とあります。これを実現しているのがまさに「グループホーム」であり、『入所施設から、地域社会に移行する』ことの1歩でしょう。
8. 当法人の取り組み
当法人「県央福祉会」では、平成28年9月1日現在、神奈川県内に、グループホーム37ヵ所を運営し、350名以上の障がいのある方がそこで暮らしています。重度の障がいがあっても、世話人、生活支援員(グループホーム職員)の支援と、ホームヘルパー、ガイドヘルパーの介助を受けることで、地域社会の中で自由で開放的な環境のもと暮らしています。入所者のほとんどは、生活介護、就労継続・移行支援、一般就労など、日中は、広く社会活動に関わり、周辺社会、住民の理解を得て相互に協力し合いながら、地域のイベントへの参加などにも積極的に関わっています。このようなことがどんなに障がいが重くとも一般社会の中で共に生活をしていくには、適切な支援があれば、十分に可能であることと確信し、その実践をこれからも継続していくことが当法人の使命であると思っています。
9. 地域社会への移行を進めていくために、「地域生活定住化センター(仮称)」の創設が必要です!
相模原殺傷事件は、施設の存続ありきでの議論するのではなく、広い視野をもって当事者のために何が必要であるのかを考えなければなりません。
ノーマライゼーションの大きな流れは、広く実現しつつある中、様々な障がいや個性をもった人々が、それぞれの立場を尊重し、一緒に暮らしていける社会を具現化していくものです。
ノーマライゼーション運動を牽引したベンクト・ニィリエは、ノーマライゼーションの考え方を、以下の八つの原則を示しています。
・ ノーマライゼーションとは、一日の普通のリズム
・ ノーマライゼーションとは、一週間の普通のリズム
・ ノーマライゼーションとは、一年の普通のリズム
・ ノーマライゼーションとは、あたりまえの成長の過程をたどること
・ ノーマライゼーションとは、自由と希望を持ち,周りの人もそれを認め,尊重してくれること
・ ノーマライゼーションとは、男性,女性どちらもいる世界に住むこと
・ ノーマライゼーションとは、平均的経済水準を保証されること
・ ノーマライゼーションとは、普通の地域の普通の家に住むこと
以上は、すべての人に共通する基本的人権に他なりません。日本国内でも、高知市はじめ、この精神を掲げ、実現へ歩みを進めている自治体が多くあります。
繰り返しになりますが、障がいのある人たちがともに暮らせる環境として、グループホームの整備推進が必要不可欠であることがお分かり頂けると思います。
しかし、グループホームの運営は、時として一人職場であり、日々の様々な業務は多忙であり、職員の献身的な努力と使命感のもとに奮闘していことも現実です。一つ一つのグループホームの運営と経営基盤は脆弱な状況にあり厳しいものです。グループホームの職員が元気で生き生きと働けて、利用者の安心と安全と快適さを守り充実した暮らしを保障するために支え合える体制が必要です。そのためにも、「地域生活定住化センター(仮称)」の整備が必要です。このセンターは、3から4ホーム(1ホーム2ユニット入居者10名)に1か所整備し、地域連携の拠点として、また、各ホームへの支援・サポート、ホーム職員への専門的アドバイス等を行うことを主としたものとし、グループホームが地域生活を支える上で無くてはならない役割を担うことをめざすものです。一日も早い「この地域生活定住化センター(仮称)」の実現を願わずにはいられません。